本能的な恐怖とお化け屋敷は矛盾している
人が恐怖を感じるのは生存のためである
人はなぜ恐怖を感じるのでしょうか。そう、生存のためです。
人間は古来より怖いという感情によって危機的状況を察知することができました。
例えば、ライオンが近くにいる時に私たちの祖先が恐怖を抱かなかったらどうでしょうか。
ライオンに挨拶をしに行こうとして襲われてしまうでしょう。種としては絶滅してしまいます。
生き延びるためには身近にライオンがいる時には「恐怖」を感じないといけません。
そうすることで事前にリスクを取らない行動を取ることが出来ます。
お化け屋敷でも恐怖を感じるはずなのに….

ではお化け屋敷はどうでしょうか。
暗い場所に入り、突然大きな音が鳴り、「恐怖」が飛び出してきます。
追いかけてくるものに驚き、逃げ惑い、心拍数も上がります。
本能的にはかなり危険を感じる場所であるはずのお化け屋敷。先ほどの恐怖の話とは真逆です。
本来であれば、生存のために恐怖は避けないといけないはずです。
そう考えると、お化け屋敷は生存本能的に不合理ですよね。
私たちはなぜお金を払ってまで、「恐怖」や「怖さ」を買いに行くのでしょうか。
(ちなみにビビリの筆者はお化け屋敷にはいけません….。)
お化け屋敷と「実際に危険な状態」を比べてみる
恐怖を感じすぎない、ちょうど良い怖さだから説
お化け屋敷に入って死ぬことは、ほぼありません。
しかし、実際に危険な状態では死ぬこともありえます。
私たちがお化け屋敷に入る時に命をかけることはありませんよね。
ある程度安全だと分かって(少なくともお化けに殺されない保証がある中で)入るわけです。
そうすると、お化け屋敷に入った時の怖さは本能的な恐怖より低いですよね。
恐怖の度合いにちょうど良いと言うものがあるのでしょうか?
ちょうど良い怖さと楽しさは同時に成立する!
デンマークのホラーアトラクションを対象にした面白い研究があります。
この研究では、人はなぜ怖いのに楽しめるのかを研究しています。
怖さと楽しさが同時に成立するかを調べようとしています。
その結果、恐怖と楽しさの関係は単純な比例ではなく、逆U字型の関係でした。
つまり、怖くなさすぎると退屈で、怖すぎると不快で、その中間が一番楽しいという結果です。
これを元に考えるとお化け屋敷などの怖さは「Uの頂点くらいの怖さ」であり、
本能的恐怖を感じる状況は私たちにとって怖すぎるのでしょう。
適切な怖さだからこそ、怖いという感情が楽しさと両立している。だからこそ、お化け屋敷を楽しいと感じる人がいるのかもしれません。

生存本能的に立ち向かわないといけない恐怖だと感じているから説
元来、恐怖は私たち生物が生得的に持っている感情であり、身を守るためのもののはずです。
では、一定の恐怖を感じた時に「楽しさ」を感じるのも、生得的なものだと考えられないでしょうか。
野生の場で本能的に恐怖を感じるのはどのような時でしょうか。
人間のほとんどの生得的反応は文明開花前です。そこからヒントを探してみましょう。
小さな恐怖は無視しても生きていくのに支障はない
例えば、小さい恐怖を想定してみましょう。食材を焼くためにつけた火。
火は触ると熱いし、火傷をするので、一応恐怖の対象と言えるでしょう。
しかし、自分でつけた火に怯えていては生きていくことはできません。
小さな恐怖ではありますが、これに対して大きな恐怖を感じる必要性はありません。
このような小さな恐怖に関しては基本的に無視しても構いません。
生きていく上で大きい損害や脅威につながる可能性は低いからです。
中程度の(程よい)恐怖には、プラスの感情を抱くのが一番合理的なのではないか
では、中程度の恐怖はどうでしょうか。
例えば、猪にゆっくりと迫られている状況を想定してみましょう。
右手には猪を倒せそうなナイフを持っているとします。

猪は逃げるものを追ってくるので、背中を見せて逃げ出すのは得策ではありません。
正しい対処法は剣を持って猪に立ち向かうことです(としておきましょう)。
この時に恐怖だけを感じてしまうと、人間はどのような行動を取るでしょうか。
背中を向けて逃げるという、一番良くない行動を取ってしまうでしょう。
実際に猪と戦うためには、「猪と戦ってやる」というような気持ちが必要です。
こういった交戦的な思考は、恐怖とはかけ離れた感情であると言えるでしょう。
ある意味、猪に立ち向かうためには本能的な恐怖に対してプラスな感情を抱かないといけません。
筆者はそれが「楽しさ」に該当するのではないかと思うのです。
恐怖と楽しさが両立するのは、恐怖時に適切な選択肢を取ることが出来るためではないでしょうか。
恐怖そのものではなく、「安全な恐怖」を買っている
つまり、私たちがお金を払って買っているのは、本物の恐怖ではありません。
買っているのは、安全に管理された恐怖と言えるでしょう。
これはジェットコースターにも似ています。ジェットコースターに乗ると、落下する感覚やスピードによって強い恐怖を感じます。

でも、実際には安全ベルトがあり、レールがあり、設計上の安全管理があります。
だからこそ、私たちは怖がりながらも楽しむことができます。
もしジェットコースターの安全ベルトが壊れていて、本当に命の危険があると分かっていたら、誰も楽しめません。それは娯楽ではなく、事故です。
お化け屋敷も同じです。怖いから楽しいのではありません。
怖いけれど安全だから楽しいのです。
安全だとわかっているからこそ、その恐怖を楽しむことができます。
小さい子供が仮面をつけた親に泣き喚くのも、安全だとわからないからかもしれません。
まとめ:お化け屋敷は生存恐怖を娯楽として感じれる装置
人が恐怖を感じるのは、本来は生き延びるためです。危険を察知し、避けるために恐怖という感情があります。
そのため、お金を払ってまでお化け屋敷に行く行為は、一見すると不合理に見えます。
しかし、お化け屋敷の恐怖は本物の危険ではありません。
私たちはどこかで「これは演出であり、本当に命を奪われることはない」と分かっています。
つまり、私たちが買っているのは恐怖そのものではなく、安全に管理された恐怖です。
怖すぎれば不快になりますが、怖くなさすぎると退屈です。
お化け屋敷は、その中間にある「ちょうど良い怖さ」を体験できる場所です。
だからこそ、恐怖と楽しさは両立します。お化け屋敷とは、
生存のための恐怖を、安全な娯楽として味わえるように作られた場所です。
終わりに
お化け屋敷は、ただ人を怖がらせるだけの場所ではありません。本来なら避けるべき恐怖を、安全な形に変え、楽しめるように設計された娯楽です。
その不思議さの裏には、人間の恐怖の仕組みが関係しています。
お化け屋敷は単なるホラー体験ではなく、人間の本能と理性のズレを楽しむエンタメと言えるのかもしれません。
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ここまで読んでくださってありがとうございました!
良ければまた読んでくださると嬉しいです。ではでは。


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